5章 記憶1:さまざまな記憶
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5-1. 記憶の種類
5-1-1. いろいろな記憶がある理由
人間の記憶は一種類ではない
いろいろな種類の情報処理
それぞれが情報の保持=記憶を必要としている
e.g. 視覚情報処理と言語情報処理
処理する情報の内容も違う
情報処理を司る脳の領域も違う
したがって、言語情報を保持している記憶だけでは、視覚情報処理を行うことはできず、視覚情報処理には独自の記憶が必要になる
5-1-2. 記憶の種類
感覚記憶: 眼や耳などの感覚器官から入ってきた情報をごく短いあいだ保持しておく記憶
宣言記憶:私達が普通記憶という言葉から思い浮かべる記憶 e.g.「リンゴは果物である」
e.g. 「リンゴは果物である」
e.g. 「昨日は昼食にラーメンを食べた」
それぞれ別の記憶システムと考える研究者もいる
両者を同じ記憶システムの中に保持されている別種の情報と考える研究者もいる
e.g. 自転車の乗り方
古典的条件づけ(classical conditioning)を含める場合もある 知覚表象システム(perceptual representation system) 宣言記憶とは異なる記憶として、プライミングという現象を説明するために提唱された これについては異論も多い
5-1-3. 想起意識の有無
長期記憶についてはシステムの違いに基づく分類の他に想起意識(autonoetic consciousness)の有無に基づく区別 e.g. 「昨日は昼食にラーメンを食べた」→「思い出した」という想起意識がある
実験では「想起意識を持っていないにも関わらず、その行動は情報が保持されていることをはっきり示している」という場合も見つかる
5-2. 感覚記憶
5-2-1. 感覚情報の保持
神経細胞が情報を伝えるさいにはごく僅かではあるが時間がかかる
したがって、感覚情報を処理するためにはその間情報を保持しておかなければならない
情報処理が行われているあいだは結果として情報が保持された状態になっている
感覚記憶
線香花火などで実感できる場合がある
5-2-2. 感覚記憶の測定
感覚記憶の厳密な測定は部分報告(partial reports)で行われた(Sperling, 1960) 行列の形で並べられた12個の文字を50ms→できるだけ多くの文字を報告
3行ほど並べた場合、読めたのはせいぜい4,5個
文字が消えると同時に音が聞こえ、音の高さに応じた1行だけ読めばよいという場合はほとんど常に3つの文字が読めた
どの行を読むのかがわかるのは文字が全部消えてから→どの行を指示されても3つの文字を読むことができた→感覚記憶には9つの文字が残っていた
全部の文字を読む場合は少ない→声に出している間に感覚記憶が薄れていったと考えられる。
実際、音がなるタイミングを遅らせていくと読める文字の数は減った
1秒もたつと部分報告の利得は消えてしまった
感覚記憶は1秒と持たないことを示している
5-3. 短期記憶
5-3-1. 一時的な情報の保持
作動記憶と長期記憶という区別の前に、認知心理学では当初、短期記憶(short-term memory)と長期記憶(long-term memory)という区別をしていた(Atkinson & Shiffrin, 1968) 短期記憶:感覚記憶ほどすぐに消えてしまうわけではないが、長期記憶よりもずっと短い時間で消える 部分報告法の実験では1秒以上たっても報告できた→短期記憶に入っていた アイコニック・メモリーは目に見えた映像のようなもの
短期記憶に入ったものは文字のような情報になっている
5-3-2. 短期記憶の容量
短期記憶の存在を示す実験的な証拠は数え切れないほどある
記憶範囲(memory span)という簡単な実験 15個の数字を読み上げる→同じ順序でできるだけたくさんの数字を言う
短期記憶の世容量は7±2ぐらいであることを示している
5-3-3. 保持していられる時間
短期記憶には容量の制限だけでなく、短期という時間的な制限もある
数秒もすれば消えてしまい思い出せなくなる。
リハーサル(rehearsal): 覚えておきたい情報を頭の中で唱え続ける リハーサルを続けている限り、1時間でも2時間でも短期記憶のなかに情報を保持しておくことができる
5-3-4. 2種類のリハーサル
リハーサルを続けると長期記憶になる場合もある
しかし、ただ機械的に繰り返すだけではいくら長時間リハーサルをしていても記憶が定着するとは限らないことが多くの実験で確かめられている。
ある実験(Glenberg, Smith, & Green, 1977)
4桁の数字を2秒間見せる→一定時間リハーサル→その数字を言う
上記を何度も繰り返し、実験の最後にそれまで見せられた4桁の数字をすべて言うと要請(実権参加者は予期していない)
リハーサル2秒条件は11%、6秒条件は7%、18秒条件は13%
つまり、長い間リハーサルをしていれば必ず長期記憶に定着するというわけではない
長期記憶に定着するための深い情報処理
単なる反復ではない情報処理を行うリハーサル
情報を短期記憶に保持しておくための機械的な反復
5-4. 作動記憶
5-4-1. 「短期記憶」から「作動記憶」へ
短期記憶は情報を一時的に保持しておくシステムと考えれていた
イギリスの記憶研究者バドリー(Baddeley & Hitch, 1974)は「情報の保持だけを行っているシステム」という考え方には無理があることを明らかにした。 情報の保持は情報の処理の影響を受ける。
バドリーがおこなった実験
数字を記憶に保っておきながら、できるだけ正確に文の正誤判断をする
覚えておく数字が3個までのときは文の正誤判断はその正確さも速さも変わらなかった
数字が6個になると正誤判断の正確さは大きく低下し、格段に長い時間がかかるようになった
情報の保持と処理を同じシステムが行っている
情報の保持だけに特化した短期記憶というシステムでは説明がつかない
バドリーは情報を保持しながら情報の処理も行う作動記憶(working memory)とうシステムがあるのではないかと考えた 5-4-2. 作動記憶と処理資源
バドリーは注意の研究をしていたカーネマン(Kahneman, 1973)が提唱した処理資源(processing resource)という概念を利用した 作動記憶が利用できる処理資源の量は限られており、6個の数字を保持するためにたくさんの処理資源を使ってしまうと、文の正誤判断という情報処理に使える処理資源が足りなくなってしまい、その結果、判断が間違ったり遅くなったりすることになる
作動記憶は多くの研究者が妥当性を認めるようになり、一般的になってきた
バドリー(Baddeley, 1986, 2000)は様々な実験結果を説明するために、作動記憶が4つのサブシステムから構成されているというモデルを提案した。
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5-4-3. 作動記憶のサブシステム
短期記憶にほぼ相当する
音韻:言語音のこと。聴覚的な情報
文や数字などを言語音のかたちで一時的に保持しておく働きをする
ループは情報が輪の中でぐるぐる回っているという比喩的なイメージ
一周りすると情報は鮮明になる
回すのをやめると情報は数秒で消えてしまう
視覚的な情報を保持する
感覚記憶のような未処理or処理中の情報ではなく、処理済みの情報
物体の見え、配置、動きなど
バドリー(Baddeley, 2000)があとから追加したサブシステム
特定の事物についての情報を保持する
音韻ループと視空間スケッチパッドのなかにある同じ事物に関する情報を統合した上で、長期記憶を参照して、そこに保持されている、その事物についての情報と照合する
作動記憶全体の制御を司る
情報資源をそれぞれのサブシステムに配分したり、サブシステムに保持されている情報を使って、文の理解や推論などの情報処理を行う
バドリーはもっと色々なサブシステムがあると考えているが、このモデルの中には実験的に確認されたものだけが組み込まれている
5-5. 宣言記憶
5-5-1. 宣言記憶と言語
宣言記憶に保存されている知識は、多くの場合、容易に言葉で表すことができる
宣言記憶=言語というわけではない
5-5-2. 意味記憶とエピソード記憶
一般的な知識
e.g. 人間には手が2本ある、リンゴは果物である
成人の場合、長期記憶には膨大な量のこうした知識が蓄えられている。
リハーサルをしなければすぐに消えてしまうというものではない。
忘れてしまったと思ってもあるときふと思い出したりする
自分がした体験や出来事についての記憶
時と場所についての情報を伴っていることが多い
e.g. 一昨日は上野動物園にパンダを見に行った
一方「コロンブスは1492年にアメリカ大陸に到着した」という知識は自分が体験したことではないので意味記憶
記憶の実験で調べるのは大概の場合エピソード記憶
e.g. 「机、窓、犬、柿…」という単語のリストを覚えるテスト
それらの単語を新しく覚えるわけではなく、「この実験でいま提示されたリストの中にある」ということを覚える
5-5-3. 意味記憶とエピソード記憶の関係
意味記憶もはじめのうちはエピソード記憶だったと考えられる
しかし、リンゴは果物であるという情報を知ったときの情報を覚えている人はまずいない
幾度となく接する情報の場合、特定の時と場所に結びついた個々の体験は思い出せなくなっていくのが普通
たくさんのエピソード記憶の積み重ねは意味記憶に変貌していく
意味記憶とエピソード記憶は別のシステムが担っていると主張する研究者もいる(Kinsbourne & Wood, 1975)
健忘症(amnesia)と呼ばれる記憶障碍のなかに、新しいことを覚えられなくなってしまうという症例が多数見られる e.g. 机の意味も窓の意味も覚えているのに、「机、窓…」という単語リストは憶えることができないというひとがいる
特定の体験を記憶するエピソード記憶は意味記憶と別のシステムが担っていて、エピソード記憶のシステムが損傷を受けているという解釈
現在のところ、健忘症の症状をもとに、意味記憶とエピソード記憶が別個のシステムであると断定してよいかどうかについては議論が続いている(Squire, 1987)
このような患者をよく調べてみると、子供の頃の個人的な体験は思い出すことができるという場合がある。
意味記憶になっていない古いエピソード記憶は残っている。
このような患者は一般的な事実であっても記憶障碍が起きた後で知った場合には新たに憶えることが困難になる
意味記憶にも障碍は及んでいる。
5-6. 手続き記憶
5-6-1. 身体技能の記憶
手続き記憶:長期記憶のなかで、意味記憶やエピソード記憶とは大きく異なった性質を持つ記憶 身体技能は代表例
手続き記憶は長期に渡って保持される
手続き記憶は獲得するためにも普通かなり長期にわたる練習が必要になる
手続き記憶は宣言記憶とは違い、言語化が非常に難しい
5-6-2. 認知技能の記憶
手続き技能は身体技能の記憶に限られるわけではない
e.g. 文法にかなった文を作るという認知技能
自分の母語については文法的な文を作ったり、的確な判断ができる
言葉をつかうという技能には構音器官を適切に動かす身体技能だけでなく、こうした認知技能を欠かすことができない
認知技能の場合も獲得するためには長期間にわたって練習を積むことが必要になる
5-6-3. 手続き記憶と言語
もう一つ、認知技能について身体技能と共通しているのは言語化が難しいという点
ある言語の文法を正確に説明することは多数の専門家が長い年月の末に達成しようと努力する困難な目標
日本語を流暢に使っている日本人は日本語の文法に関する知識を、宣言記憶としてではなく、手続き記憶として保持している
言語化できない認知技能が獲得できることは多数の実験で確認されている
実験者が人工的な規則を定める
e.g. 「Aの次にはK,Aの前にBがあるときはAの次にはM」
実験参加者に規則にあてはまっているか答えさせる
試行を何回も繰り返すとかなり正確に答えられるようになる
大概の人はそれがどういう規則なのかを言葉で説明することはできない
5-7. 潜在記憶
5-7-1. プライミング
エピソード記憶は長期記憶とはいっても、わりとすぐに思い出せなくなってしまうもの
多くの場合、エピソード記憶が早々に想起不能になってしまうことは無数の実験によって確認されてきた
思い出せなくなったエピソード記憶は長期記憶から消え去ってしまったのだろうか?
認知心理学における記憶研究の第一人者であるタルヴィング(Tulving, Schacter, & Stark, 1982)の実験 単語のリストを1語につき5秒の速度で店、できるだけたくさん覚えてもらう
記憶テストは1時間後か1週間後に行う
記憶テストは2種類ある。
再認テスト:提示された単語が憶えたリストのなかにあったかどうかを「イエス」か「ノー」で答える
単語断片完成テスト(word-fragment completion test):断片を見せて当てはまる単語を答えてもらう 再認テストの結果は1時間後60%→1週間後20%と大きく低下
「エピソード記憶は早々に想起不能になる」という、経験とも多くの実験結果とも一致している
単語断片完成テストの方は1週間後でもほとんど成績が下がらなかった
最初に記憶した単語の場合はテストのときに初めて出てきた単語に比べて常に10%以上成績がよかった
先の材料=後の材料
単語断片完成テストのように、はじめに提示した記憶材料と同じものをテスト課題で使い、記憶が残っているかどうかを調べる方法
プライム(prime):「呼び水」という意味。
この実験のように、前にその単語を見たことが呼び水になって、後でその単語を使った課題の成績がよくなる現象
プライミング効果は意図的に思い出そうとして思い出せなくても、記憶が残っている場合もあるという現象
5-7-2. 潜在記憶と顕在記憶
プライミング効果として現れる潜在記憶は、エピソード記憶などの顕在記憶とはどのような関係にあるのか
脳に損傷を受けると新しい出来事を憶えることができないという症状を示す場合がある
顕在記憶であるエピソード記憶が障碍されているということ
ところが、単語断片完成テストではプライミング効果がみられる(Warrington & Weiskrantz, 1974)
エピソード記憶とプライミング効果には脳の異なる部位が関係していることが伺える
プライミング効果が感覚の種類に依存するという実験結果もある 単語断片テストではじめに単語を見せた場合ははっきりとプライミング効果がでてくるが、単語を聞かせた場合ははっきりとしたプライミング効果が観察されにくい
プライミングのもとになる独自の記憶システムの存在を示唆している
タルウィングは知覚表象システムという記憶システムが存在すると想定した(Schacter & Tulving, 1994) はじめに単語を見せられたときには、その外見がこの知覚表象システムに保存される
テストでも単語の断片が視覚的に提示されるので知覚表象システムに保存されている外見に関する情報を利用することができ、プライミング効果が生じる
しかし、はじめに単語を聞かせられたときには知覚表象システムに保存されているのは音声に関する情報
テストで単語の断片が視覚的に提示されたとき、保存されている情報は役に立たず、プライミング効果が生じない
知覚表象システムによる説明には別の実験に基づく異論もある(Blaxton, 1989など)
まだ決着のついていない問題
イメージの研究から考えても、感覚的な情報を保存する知覚表象システムのような記憶が存在する可能性は高い
5-8. さまざまな記憶の結合
5-8-1. 宣言記憶の性格
宣言記憶は進化のプロセスのなかでは最近になって発達してきた記憶ではないかと考えられている(Squire, 1987) 宣言記憶は言語と密接な結び付きを持っている
言語は人間ならではの特徴
言語のような複雑な記号システムを持っている動物は人間のほかにはいない
宣言記憶と他の記憶との関係
宣言記憶に保存されているのは、知覚的な情報や手続き的な情報を抽象化あるいは一般化した情報
抽象化された概念は言葉で表現することによって他の人間に伝達することができる
逆に抽象的な概念を組み合わせることによって、一度も見たことがない事物や情景をイメージすることもできる
5-8-2. 宣言記憶と作動記憶
宣言記憶は作動記憶とも深い関係を持っている
バドリーのモデル以外にも広く指示されているモデルがいくつかある。
コーワン(Cowan, 2005)のモデルでは、作動記憶を独立したシステムではなく、長期記憶のなかで注意が向けられ、活性化した部分だと考える 作動記憶は宣言記憶のなかに保存されている抽象化された情報と関連付けるインターフェースの役割を果たしていると考えることもできる
宣言記憶の中に保存されている抽象化された知識は思考のような高度な情報処理の基盤になっている